前借り社会がつくる世代間の変化
前借り社会 年が若くても借金漬けが若者の日常に
問:前借り行為は若者の生活習慣にすぎないようだが、社会問題化していると言えるのか。
呂徳文:若者だけでなく、今日の私たちの社会全体がそうなっていて、都市化が急速に進むにつれて幾つかの現象があらわれてきている。
まず第一に、誰もが都市化された生活様式を送ることになったが、都市化された生活様式の前提には家と車という2つのものがある。若者はお金を持っていないので、結局、家や車のコストは中高年に直接転嫁され、彼らも前借り状態に至っている。
問:前借りする対象が移動している。
呂徳文:はい。だから、現在は中高年も前借り状態になっている。それは、子女の結婚のためには家と車を用意しなければならないからである。家と車を合わせると100万はなくても80万にはなる。中西部地域であれば50万はどうしても必要だが、このお金はどこから来るのか。
これは、都市化がもたらした第一の影響である。
呂徳文(続):第二の影響は、基礎的な生活様式である。家と車があればそれでいいわけではなく、それに見合う生活様式がなければならず、最低限の光熱水料も払わなければならない。
私たちが以前行った調査では、3人家族(若い夫婦と子供1人)が県城で普通に生活するには、1カ月に少なくとも3000元の生活費が必要である。
若者世帯にとっては、このような生活を維持することは容易ではない。妻が子育てで基本的にほとんど収入がなければ、妻は純粋に消費者である。夫の月給は5、6000、高ければ8000、毎月1000元を使い、自動車ローン、住宅ローンが加われば、手元にはほとんど残らない。だから、私たちの調査では、多くの若者、2、30歳では、職探しの基準は何かと聞けば、給料は最低でも1万元と答える。
問:自分の生活費を賄う必要があるからか。
呂徳文:そう。生活の維持。県城にいれば、1万元の収入がなければ生活を維持できない。
問:こういう仕事を見つけるのは難しい。
呂徳文:なぜフードデリバリーをする人が多いかといえば、数年前は収入はまあまあよかったから。7、8000元の仕事であれば見つかる。そんなのはやる人の自由にできると思ってはいけない、もちろん確かに自由度はあるが、この業界はより多く稼げるということが大きかった。
問:この仕事は比較的楽だったということか。
呂徳文:フードデリバリーが楽ということではなく、給料がよくて、平均月給よりも1、2000元多いので、正常な生活を維持できたということだ。しかし、これは好調なときであって、多くの人はこの状況を維持できない。そういうときは、逆に両親が子供の家族を支援する、子供の家計消費を援助する必要がある。
だから、簡単に言えば、ここ10年の都市化過程で、若者だけでなく、中高年も前借りしている。
問:以前は、中国人は貯蓄好きで、私たちは貯蓄率が高い国だとよく言っていたが、その見方は現在は違うということか。
呂徳文:表面上は、私たちはまだ貯蓄率が高い国かもしれないが、貯蓄する人の社会階層が構造的に変化している。以前は、貯蓄率が高いのは普通の農民が大部分だったが、現在、普通の農民には貯蓄はないのがほとんどで、手元は既に空っぽになっている。現在、貯蓄をする人は、主に、私のような給料所得者、特に都市で定年退職者である。
実際、私たちの現在の社会は、高い貯蓄か、過剰前借りかで二極分化している。過剰前借りとは、私たち一人一人の行動原理や生活習慣が非常に大きく変化していることを意味している。
例えば、目先の利益にさとくなり、お金が稼げるところならばどこにでも行くというのは、先ほど話したフードデリバリーである。フードデリバリーは、それでも比較的ましな選択である。数年前に私が調査したとき、オンラインカジノが若者の間で人気があることに気づいたのだが、それは前借り社会と関係している。
オンラインカジノ自身が前借りの原因の一つでもあるのだが、それは結果でもあった。若者たちは借りられるところで全部借り切ったら、最後はオンラインカジノに手を出すしかなくなっている。
私の調査で出会った二十数人の若者は、オンラインカジノをして、最後にはみんな借金を抱えることになっていた。社会に出たばかりの3―5年は、前借りを続けて高消費の生活を維持できたが、その後は維持できなくなり、クレジットカードも使えるだけ使い、各大手プラットフォームでも借りまくり、最後にはギャンブルにはまってしまう。
もちろん、オンラインカジノは、初めはお金を稼ぐためだけではなく、若者のサブカルチャーに合った、おもしろくて刺激的な面もあるのだが。
もう一つ例を挙げれば、インターネット詐欺は前借りとも関係している。私は、ミャンマーでネット詐欺をしている人を調査したが、その多くは、実はだまされたからではなく、自発的に行っていた。普通、大人になって仕事があって家庭がある人は行かない。行くのは20代の若者である。
中国国内では生活していけないが、恥ずかしくて、家族にお金を無心することもできない。既に破産状態になっていて、孤立無援ならば行ってやってみたいと考える。
問:実は、本人たちはよくわかっていて、自分の行いにも自覚的ということか。
呂徳文:よくわかっている。
問:先ほど若者と中高年の話をしたが、高齢者はどうか。高齢者は前借り社会ではどのような存在なのか。
呂徳文:高齢者は、ある意味軽視されている。
問:つまり、高齢者を気にかけない、それは、全ての資源は子供に、借金をしてまで与えているからか。
呂徳文:はい。高齢者の多くは現実的には誰にも気にかけられず、介護危機が発生しているが、これも客観的には前借り社会と関係している。現在、高齢者の多くは基本的に自助努力としている。
問:多くの高齢者がまだ農業を営んでいたり、働いているのを見かけるが、彼らはどのような状況にあるのか。
呂徳文:2つの見方があると思う。まだ働けるから働き続けているのであって、働くことを余儀なくしているわけではない者もいる。ほとんどの高齢者は、差し迫っているからではなく、実は彼らの生き方ということである。
今日の高齢者は基本的に前借りの仕組みに直接的に組み込まれていない一方で、間接的な影響を受けている。高齢者はいまだに過去の倹約の生活原理を持っていて、やれる範囲でやる、お金をためる範囲でためている。
私が調査で遭遇した最も典型的な例は何かというと、高齢者の多くは、条件があれば、自分が亡くなった後のためのお金を事前に準備していることである。
しかし、現在、高齢者が働けなくなり、生活が厳しくなって、自分で貯めたお金を使い果たしたり、あるいは使い切らずに残し、自分の子供からの世話や支援を願っている。しかし、子供の中にはそのことを遠慮して、自分の生活が思いどおりにならないこともある。
ある意味では、これも社会の悲劇である。純粋な道徳で評価するのは難しいが、今日この社会が直面している非常に大きな課題であることは確かである。